ブラック・ジャック再び

ひさしぶりに手塚治虫の「ブラック・ジャック」を読み直した。アニメ化にあわせて秋田書店からチャンピオン連載時系列にのっとった、新装版が発売されており、これは買いかも、と思ったので、買い始め、揃えてる途中でこれは、現時点でブラックジャックの作品集録数がもっとも多い「チャンピオンコミックス」の再編成版ではなく一応選集ということになってる「文庫・ブラックジャック」の再編成版だということを知ったんだけれど、なんかくやしいんで一応全部買った。

ブラック・ジャック」は手塚先生の漫画のなかでも大好きで、お気に入りの物語はいまでもパラパラとめくり読みしていたのですが、まとまって最初から読み直すのは初めてでした。というのはわたしは秋田文庫版で作品を読んでおり、これは「選集」あつかいといこともあって、手塚治虫氏が気に入った作品をランダムに選んだものが売れたために、後に別の人が巻を加えていったもので、作品は最初から並んでいるわけではありません。初めて作品をある程度順番通りに読み、そうすると、順番通りに読むことによって初めてわかること、見えることもあり、読み直して色々とショックを受けたのでなんとなく、そのショックについて、メモ。(ややネタバレ気味)

□「ブラック・ジャック」という漫画が医者漫画であることは有名だと思うのですが、あらすじが一体どれくらいの人に知られているのかが、わからないので、簡単に説明しておくと「ブラック・ジャック(以下BJと略)という無免許天才外科医がすごい技術で人を助け、そのかわり法外な金額を要求する漫画」です。(くわしいあらすじは>http://ja.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m089/m089_01.html

相棒として、ピノコという7才くらいの外見の女の子が登場しますが、彼女は18年間、実の姉の体の中で奇形嚢腫として育ち、切り取られ捨てられるところをBJによって再構成され、人間の形を作ってもらいます。だから見た目は7才、戸籍上は0才、本人の意識の中では18才というズレがあり、本人はもう18才なのだからBJの奥さんにして欲しい、と主張し、BJは子供扱いして娘のように接します。この漫画は基本的には非常に重い題材を扱っており、辛いシーンの多い漫画なのですが、この「自称:おくたん」のピノコとBJのコミカルなやりとりが、読者をほっとさせてくれます。


□なによりも一番ショックを受けたのは作品そのものではなく、作品に対するわたし自身の感じ方の変わりようでした。そしてその「変わりよう」を通して「ああ、わたしは大人になったんだな…」ということを再確認(まあ32才なんだから、年齢だけ言えば大人に決まってんだけど、ババアって言われても全然かまわないんだけれど、自分自身の内面の子どもっぽさ、と実年齢のバランスが悪いという意味ではまだまだ自分は子供だと感じているので)。

子供のころはBJの「自称:おくたん」である可愛いアシスタント「ピノコ」に憧れ、ああ、わたしもピノコになってBJ先生のお供をしたいわあ、という(まるで王子様に対するような)強い憧れを持って物語を読んでいたので、BJに対する思い入れよりもピノコに対する思い入れのほうがはるかに強く、ピノコに感情移入し、彼女を通して物語に触れ、BJ本人の言動に感動したり、びっくりしたり、なるほど、と思っていたのですが、しかし32才の今読み直してみると、びっくりすることに「超絶的存在で一切の感情移入を拒否しているキャラクター」だと思い込んでいた、BJそのひとに感情移入している自分に気がつくのでした。

BJは正義の味方ではありません(アニメ版だとすっかり正義の味方になっちゃってるけど)。過去に人殺し(復讐のために人を殺し、お金の力でそれをもみ消した…のかもしれない)をしたかもしれないことがほのめかされているし、脱税をし、人をだまし、詐欺をし、高い金をとり、復讐のためにお金を貯め、復讐を実行し(それもとても陰惨なやり方で)、そして、それでも人を助けます。時には無料で、時には法外なお金を取り、そして、その基準はとてもきまぐれで、一貫しているようには見えません(読み進めていくうちに読者にも彼の基準のようなものがなんとなく察せられるようにはなるのですが)。

そもそも手塚治虫は最初「ブラック・ジャック」という作品ををピカレスク・ロマンとして用意していたようですが「予想外に読者がBJをいい人だと感じた」ため、読者の要望に応える形でBJはいい人にシフトしていきます、しかし、やっぱりBJ先生はいい人なんだわ!と読者がすっかり安心しかけたころに、どーんと暗い復讐譚を持ってきたり、BJという人間の暗黒部分にスポットを当てた物語を用意し、なかなか読者を安心させてはくれません、この絶妙なタイミングが心憎い。

同じ手塚作品でもはっきりとピカレスク・ロマンである「MW」(大好き!)では、ふたりの主人公結城美知夫(悪的存在)と賀来神父(善的存在)の対立を持って人間の暗黒部分を描き出していますが(まあ、そんな単純な構図でもないんですが、便宜上)、「ブラック・ジャック」という作品の中では善なるものと、悪なるものの両方はBJそのひとの中にあります。
(一応ライバルとして描かれる「死の医者」ドクター・キリコは別に悪人ではなく、彼は人殺しでも、自殺幇助者でもなく、できるだけの治療を施したうえで、それでもどうしても死を免れない患者が苦しまないで死ぬことができるように安楽死を選ぶ、という立場なので、彼は「悪」ではなく、ただ「BJとは立場や物の考えかたが違う医者」というだけであって、エピソードによっては一緒に治療にあたることさえあります。)
命がけで多くの人の命を救いながらも、復讐することをやめられないBJ。そして復讐を誓いながらも、冷酷にもなりきれないBJ。この彼の心弱さを、愛さずにはいられないのでした。

□コワモテな割にはモテモテなBJ先生。たくさんの女性が彼を愛しますが(そして、彼は案外一緒にはいてくれたり、優しくしてくれたりもしますが)、決してその心を与えようとはしません。
彼に愛された二人の女性、永遠の恋人である如月恵と、ただひとりの家族であるピノコは、BJに愛されながらも、如月恵は「男として生きることを選ぶ」という決意をもって、ピノコは18才の魂を永遠に成長しない体にとじこめられていること(BJ自身は本当はピノコに成長して普通の女の子のように生きて欲しいんでしょうけど)によって、その肉体は彼から遠く隔たれている、というのをとても興味深く感じました。



□これは余談だけど(まあ上に書いてあることも全部余談だけど)、今迄BJ先生ってピノコには甘くてやさしいわねえ、と思っていたけれど、改めて読み直してみると、甘いどころの騒ぎではありません。

ピノコが望めば、裏口入学させようとして、ポンと大金はたくBJ先生。(ピノコが)憧れの男の子に騙されたときもポンと500万円出しちゃうし、ピノコを誘拐させない為にわざと自分が銃に打たれたりしてるし、ピノコの手術のときは手が震えてるし、うっかりミスとかするし(人生で2〜3回しかしたことないらしいのにそのうち1回がピノコ絡み)、ピノコが勝手に注文したピアノもなんだかんだいって買ってあげちゃうし、ピノコへのプレゼントにうっかり「わがむすめピノコへ」(まあ本心でしょう)って書いてしまったことを平謝りしてるし、どんなにひどい拷問をされても口を割らないけど、ピノコがどうなってもいいのか、といわれればあっさり口を割るし、結構いろんな人に「うちの娘が〜」とか自慢話してるし、甘やかすというよりは溺愛。結構な親バカっぷりだ。ほほえましいなあ。

ピノコ画像はhttp://homepage1.nifty.com/kyokai/bouken/pinoko/index.htmlからいただきました。