俄然、着物に興味が出てきたから、ひさしぶりに幸田文の「きもの」を読み直している。
 「きもの」という本は幸田文の自伝的小説と言われており、また幸田文の「最後の長編小説」でもある。でも今はそういうことはちょっと脇に置いておいて、「いち着物女子」的な、実に邪道な読み方をしている。しかしそれは、とっても、楽しい。

 当時の衣替えは5月だったこと、それまでは綿入れの着物(あったかそうだなあ)を着ていたこと、暗い色の着物を選んで「おませね」といわれた子供だったこと(今だと若い娘が暗い色の着物を選ぶと物知らずだと思われてしまう、という話を聞いたのだけれど、この本によれば、当時は若い娘が暗い色の着物を着るのは「おませ」で「粋」なことだったのだ!!)、うすものは高価なおしゃれ着で普段は着れなかったこと、年ごろの娘さんになった主人公のるつ子がはじめて「うすもの」を誂えてもらった時の喜び、そういったことごとが実にいきいきと描かれていて、とっても楽しい。

 東京に暮すようになってから、気がついたことがある。それは「地理」の重要性だ。もちろん、あの作品の舞台はどこどこで、ここが○○で、みたいなことはしらなくったって全然かまわないし、多くの小説がそんなことを知らなくッても楽しめるようになっている。それはそれとして、世の中の小説の多くは東京を舞台にしており、「いち地方都市出身者」にとってのそれは今まで、「架空のリアリティ」に過ぎなかったんだけれども、中野はここね、谷中はここね、ああ、雑司ヶ谷ってあそこなんだ、というような事がわかって小説を読むようになると、不思議とぐっと「小説のリアリティ」が増し、より愉しんで読めるようになった。東京の風俗、というものが非常に興味深く、より現実的に感じられるようになった。

 それと同じで今、「着物の地理」が少し(本当にほんの少しだけ)わかるようになって読むとおしゃれする喜びと、ちょっと変わった女の子に生まれたことの切なさに満ちたこの「きもの」という本が、より切実に胸に迫るようになった。それは、とっても、楽しい。

 しかし、当時の東京の下町の着物ルールが今と全然違うことに驚く、ルールってやっぱり移り変わるものなのね。